祇園祭と言えば、日本三大祭りに数えられる京都の祇園祭が有名です。この祇園祭は京都市南区にある綾戸國中神社と同市東山区にある八坂神社の祭事です。両神社には素戔嗚尊(スサノヲノミコト)が御祭神として祀られており、八坂神社では祇園の神(=素戔嗚尊)を祭り、さらに神輿をも送って災厄の除去を祈ったことが祇園祭のはじまりとされています。八坂神社は神仏分離令より以前は祇園社や感神院と呼ばれ、この「祇園」「素戔嗚尊」という言葉は仏教に深く精通する要因があるようです。また、八坂神社は日本全国に約三千の分社があるそうです。
小友にも村の入り口に八坂神社があり、小友祇園祭はそこの祭事とされています。
京都祇園祭と同じく日本三大祇園祭に数えられる博多祇園山笠は、櫛田神社に祀られる素戔嗚尊に奉納する祇園祭だそうです。
京都の八坂神社は今でも「祇園さん」の呼び名で親しまれているそうです。小友では祇園祭や祇園山笠のことを指して「祇園さん」と呼んでいます。八坂神社は、同じ境内に祀ってある「氏神様」がなまった「うじがんさん」の愛称で親しまれています。
前頁でも述べたように、小友祇園祭は1658年に疫病が流行した際にその起源があります。京都祇園祭は869年(貞観11年)に全国で疫病が蔓延した際に起源があり、博多祇園山笠は1241年(仁治2年)にこの地域で疫病が流行したときに起源があるそうです。
この様に祇園祭は疫病や悪病が流行した際に、悪疫や災厄退散を素戔嗚尊に祈願した事にあるようです。素戔嗚尊は高天の原でも荒ぶる神としてその強大な力を恐れられるほどで、この強大な力を持って災厄を祓って戴こうと人々はすがったのでしょう。また「蘇民将来之子孫也」の故事で知られるように、素戔嗚尊や蘇民将来に祈れば疫病から免れしめると信じ祈願でしょう(夏越祓)。
この他全国各地の八坂神社や祇園祭も似たようなモチベーションがあり、次に述べるような類似する慣わしが点在するのかもしれません。この唐津・東松浦地区を見ただけでも祇園祭は各地域の夏の祭りとして至る所で行われています。山囃子の有名な浜崎祇園山笠、同じ町内小川島の小川祇園祭、湊地区の湊祇園山笠。
各神社には、家紋の様なその神社を象徴する神紋があり、素戔嗚尊を御祭神とする八坂神社の神紋には木瓜紋が用いられています。この木瓜紋に関する起源や意味については諸説あり、素戔嗚尊がキュウリの上に降臨したという伝説やキュウリを輪切りにした形に似ている。また木瓜はボケやモコウと読むことから、バラ科の植物であるボケに由来することや、モコウ=帽額にキュウリの輪切りの形が用いられたことが転じて木瓜紋となったなどがある。ちなみに帽額とは、平安時代に宮中や寺院でよく見られた御簾の上部分(上長押)に添って張り巡らされた絹布のことです。
この木瓜紋は祇園祭の法被にも広く用いられており、小友祇園祭の法被にもこの神紋が描かれています。
また、京都や博多の祇園祭と同じく、ここ小友の祇園祭でも祭事の期間中にキュウリを食べることは御法度とされています。その理由は、これも定かではありませんが先に述べた木瓜紋の起源などから推測されることと思います。
木瓜紋法被(後)
〒847-0302
佐賀県唐津市呼子町小友
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